2011/04/27

Real problem of the Japanese nuclear crisis

   I would like to introduce to English speakers a video from Video News titled 'FCCJ Journalists Discuss the Experience in the Disaster Area' (ca. 87min., the summary is here.). Here is the discussion, which was held on the 21st Apr. 2011 at The Foreign Correspondents' Club of Japan, with the journalists who stepped into Tohoku area right after the earthquake of the 11th March. They also point out the problems of the Japanese media and how strongly taboo it was to talk about the nuclear issue in Japan (from around 53min.), which seem to me the fundamental problem not only of this nuclear crisis but also of the Japanese society.

   I'd like also to introduce briefly that the Japanese jounalist Tetsuo Jimbo, one of these panelists who is called 'Teddy', is the one of a very few journalists who works sincerely around this difficult and delicate matter. We can see most of his works on Video News mentioned above. Unfortunately this site is only in Japanese but sometimes they upload the videos in English such as Press conference of Eisaku Sato, the ex-governor of Fukushima or Case study of Germany's nuclear energy policy by Greenpeace Japan.

   I am not a good English speaker, so I could follow probably just 70-80% of the video. However I would be happy to hear your opinions about it or about this matter, for I can hardly get this kind of opinions directly and I think it's really important to think about it. The comments are also welcome in French, in German and of course in Japanese. Thank you.

2011/04/26

情報リテラシー

どうも現場の情報はありのままの形では私たちの手には届かないらしい。これはすでに誰もが知っていることだったのでしょうか。恥ずかしながら私は、今回の福島原発事故にまつわる報道の様子で初めてそれに気付き、強い危機感を覚えるに至りました。この重大な危機に関する情報を、この期に及んでまで、都合よくコントロールしようという人たちがいるらしいと知ったことは衝撃のひと言に尽きます。

本当に起こっていることを知りたい、というシンプルな欲求にかられて情報を探し求め、数週間来注目して追い続けているのがビデオニュース・ドットコム自由報道協会〈ザ・ニュース〉 。伝統的な日本ジャーナリズムの流れに乗らないそのジャーナリストたちの活動には激しい批判もあるようですが、少なくとも福島原発報道に関しては、どこか腹をくくって真摯にこの大仕事に臨んでいるという好印象を私は受けています。彼らの論調が社会的、政治的にどういう立場に属するのか、といったようなことは私にはよくわからないし、そもそもそういう旗色分けみたいなことをすることにどれほどの意味があるのかと思うけれど、ともあれこの2つのサイトのいい点のひとつは、たくさんの一次情報が得られることではないでしょうか。

ここで言う一次情報とは、例えばインタビューや記者会見、事件や事故の現場の様子などをありのまま丸ごと見たり聞いたりできるビデオや録音のこと。テレビのニュース番組などでは、取材したものに芝居がかったナレーションやBGMを重ねて視聴者に提供するということが当たり前のように行われているけれど、それではテーマに対する見る側の自由な思考が、製作者の意図した道すじに沿って誘導されてしまう可能性が高くなる、というのは比較的容易に想像できるのではないでしょうか。でも例えば、ある記者会見を何の演出も加えず提供するとしても、番組の都合上全部を流す時間がないとしたら、どの部分を取り出すか、もしくはどの部分を取り除くか、という判断を製作者がしなければいけないわけで、そうなると、その取捨選択にすでに製作者の何がしかの意図が反映されてしまうのだ、ということはあまり考えたことがありませんでした。

上記2つのサイトではたくさんの記者会見やインタビューが丸ごと、ただただのんべんだらりと視聴できます。厳密に言うならば、そこには彼らが興味を持った会見や人の話しか存在しないわけで、そこにはすでに運営者の意図が反映されてしまって思想的に偏りがあるということにもなるけれど、そこまで言うなら、もう後はすべて自分で一から取材に出かけるしかなくなってしまう。私としてはやはり取材はプロに任せるほかなく、その取材してきてもらったものだけを手に、自分なりに理解を深めて、思考を展開していかざるを得ない。それならば、なるべく自分自身で考える余地を与えてくれそうなものを選びたい、と私は思っているのです。

いずれにせよ、今やインターネットをちょっと気をつけて探せば様々な立場からの情報を少なからず得られるのだし、有名な情報だからって信頼に値するわけではないらしいということも学んだので、少しずつでも自分自身で情報価値を判断できるようになれればと考えているところです。で、そういう能力を「情報リテラシー」と呼ぶんだそうですね。それも初めて知りました。形こそ民主主義的でも、実際は何か大きな目に見えない力が常に民衆の考えを都合よく丸め込もうと動いている、というのが日本の本当の姿なのだとしたら、なんと悲しく恐ろしいことでしょう。心あるジャーナリストたちはその目に見えない怪物のようなものと、今や真剣に対峙し始めたのかもしれません。そうしたジャーナリストたちの発信を正しく受け取って判断し支持する、というのがその怪物を白日のもとに引きずり出すために、私にもできることのひとつではないかと考えています。

2011/04/06

熊取六人衆

毎日色々なことをぐるぐると考えています。本当に大切なことが人々の知るところにならないような日本社会のシステムに危惧をおぼえています。被災地で困っている人を今すぐ助けることはできないけれど、真実にしっかりと目を向けておき、何かできることが見つかった日のために心の準備をしておくことが、まずひとつできることかもしれないと思うようになりました。

原子力研究の中枢にいながら、原発反対運動を続けてきた科学者たちのドキュメンタリー『なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜』。 制作テレビ局は放映後、関西電力がスポンサーから撤退するという圧力を受けたとか。興味ある方、どうぞご覧ください。
(2008年放映/約50分)