2011/04/26

情報リテラシー

どうも現場の情報はありのままの形では私たちの手には届かないらしい。これはすでに誰もが知っていることだったのでしょうか。恥ずかしながら私は、今回の福島原発事故にまつわる報道の様子で初めてそれに気付き、強い危機感を覚えるに至りました。この重大な危機に関する情報を、この期に及んでまで、都合よくコントロールしようという人たちがいるらしいと知ったことは衝撃のひと言に尽きます。

本当に起こっていることを知りたい、というシンプルな欲求にかられて情報を探し求め、数週間来注目して追い続けているのがビデオニュース・ドットコム自由報道協会〈ザ・ニュース〉 。伝統的な日本ジャーナリズムの流れに乗らないそのジャーナリストたちの活動には激しい批判もあるようですが、少なくとも福島原発報道に関しては、どこか腹をくくって真摯にこの大仕事に臨んでいるという好印象を私は受けています。彼らの論調が社会的、政治的にどういう立場に属するのか、といったようなことは私にはよくわからないし、そもそもそういう旗色分けみたいなことをすることにどれほどの意味があるのかと思うけれど、ともあれこの2つのサイトのいい点のひとつは、たくさんの一次情報が得られることではないでしょうか。

ここで言う一次情報とは、例えばインタビューや記者会見、事件や事故の現場の様子などをありのまま丸ごと見たり聞いたりできるビデオや録音のこと。テレビのニュース番組などでは、取材したものに芝居がかったナレーションやBGMを重ねて視聴者に提供するということが当たり前のように行われているけれど、それではテーマに対する見る側の自由な思考が、製作者の意図した道すじに沿って誘導されてしまう可能性が高くなる、というのは比較的容易に想像できるのではないでしょうか。でも例えば、ある記者会見を何の演出も加えず提供するとしても、番組の都合上全部を流す時間がないとしたら、どの部分を取り出すか、もしくはどの部分を取り除くか、という判断を製作者がしなければいけないわけで、そうなると、その取捨選択にすでに製作者の何がしかの意図が反映されてしまうのだ、ということはあまり考えたことがありませんでした。

上記2つのサイトではたくさんの記者会見やインタビューが丸ごと、ただただのんべんだらりと視聴できます。厳密に言うならば、そこには彼らが興味を持った会見や人の話しか存在しないわけで、そこにはすでに運営者の意図が反映されてしまって思想的に偏りがあるということにもなるけれど、そこまで言うなら、もう後はすべて自分で一から取材に出かけるしかなくなってしまう。私としてはやはり取材はプロに任せるほかなく、その取材してきてもらったものだけを手に、自分なりに理解を深めて、思考を展開していかざるを得ない。それならば、なるべく自分自身で考える余地を与えてくれそうなものを選びたい、と私は思っているのです。

いずれにせよ、今やインターネットをちょっと気をつけて探せば様々な立場からの情報を少なからず得られるのだし、有名な情報だからって信頼に値するわけではないらしいということも学んだので、少しずつでも自分自身で情報価値を判断できるようになれればと考えているところです。で、そういう能力を「情報リテラシー」と呼ぶんだそうですね。それも初めて知りました。形こそ民主主義的でも、実際は何か大きな目に見えない力が常に民衆の考えを都合よく丸め込もうと動いている、というのが日本の本当の姿なのだとしたら、なんと悲しく恐ろしいことでしょう。心あるジャーナリストたちはその目に見えない怪物のようなものと、今や真剣に対峙し始めたのかもしれません。そうしたジャーナリストたちの発信を正しく受け取って判断し支持する、というのがその怪物を白日のもとに引きずり出すために、私にもできることのひとつではないかと考えています。

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